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e8142eb2 :Jack
2016-06-09 18:52
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>>65a47242
>>37f8ff6d
私の定義では、エングラムあるいはラック(ベーシックベーシック)はバンク(反応心)の一つの構造です、。また、バンクはマインド(心)および分析心に包含され、機能不全に陥った分析心の領域がバンクです。そして、マインドおよび分析心はその奥にモニターとしての自我つまりセイタンが控えています。つまり、分析心とは広義のセイタンのことでもあります。
やはり、CCRDのようにコグニションだけでクリアーであると判定する手法は、教会の組織運営の欠陥とも相まって技能的な誤りや失敗を招くものであると思います。
クリアーであると判定するためには、コグニションのオリジネートだけでなく、①ケースフォルダーの記録やこれまでの経緯からして妥当かどうか②クリアーコグニションと単なる個別的なコグニションを混同していないかどうか③トーンスケールや各種の能力テストにおいて安定的な向上を示しているかどうか、というように様々な側面から複合的に判定する必要があるでしょう。
私は、教会のクリアーでクリアーであることを疑わざるを得ない人物もいると考えています。
セッションにおいて前世のエングラムをランする場合の記憶と日常生活で前世の出来事を想記する場合の記憶は異なります。前者はリターン(リターニング)であり、後者はリコール(想記)です。
私たちは、現世の記憶も忘れることがありますが、問題は前世と現世で記憶が断絶しているか否かです。もし、全軌跡の想記が可能であるならば、前世の記憶も、現世の記憶のように想記することができるはずです。
現世の記憶の(リターンではなく)リコール=想記の感覚と前世の記憶の想記の感覚が異なるのであれば、つまりセッション(リターニング)で前世の出来事の映像を〝見た〟にも関わらず、明らかにリコール=想記に断絶があるならば、オールドタイマーさんの言われる一生涯の心の存在も仮定しうると思います。
つまり、(セッションにおいて前世リターニングを経たクリアーや前OTが)現世において昨日を想記するのと同じ感覚で前世の出来事を想記できず、現世と前世の出来事に明らかに断絶が存在しているとすれば、人間はそれぞれの生涯毎に異なる心を用いて想記を行っているという仮定も成り立つでしょう。
私が知りたいのは、その仮定や現象の解釈ではなく、それが何であるのかということです。そして、私が得たいのはそれが何であるのかということを解明しうる技術です。
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