【ただひたすら書き込むスレ】

bccb8cc7 :Anonymous 2013-09-09 20:37
>>6f3ce4de

>何故それが間違いだといえるの?
>特定の条件が揃えば殺人は正当化されるかもしれないよ

それは今の人間には命を正確に相対化することができないから。
そしてオウムのように正確でない命の相対化によって殺人を正当化する者が現れる可能性があるから。
殺していい人間、駄目な人間を正確に決められないのであれば殺すという手段はとるべきではない。

まず絶対化と相対化の定義を提示する
■絶対化 = それとは関係なく独立して価値を決めること
■相対化 = なんらかの価値を他の価値と比較して決めること

絶対はゲーデルの不完全性定理により存在しないことになっているから、命の絶対性を証明することはできない。
じゃあ相対化はどうかときかれると、現時点で命を正確に相対化することはできない。正確に出来ないのであれば相対化もするべきではない。

以下に相対化出来ない論拠を示す。

例えばスーパーで売られている肉や果物の値段は相対的に決められている。味や重さや出荷量など人間が定量的な物差しでそれらの価格を決めている。味が悪かったり、形が悪くなると捨てられたり、値段が下がる。それらは物理的なパラメーターで比較的安易に測定できる。
人間の場合は命の値段は情報空間にあるので安易に測定できない。他の人間に比べて優秀かどうか、善悪の判断はちゃんとついているのか、将来偉大な発見をする可能性が高いか、将来大量殺人鬼になる可能性が高いかどうか、それらを正確に測定する手段がない以上相対化は不可能。

不可能であるのなら殺すという手段をとるべきではない。


>それを以って他者の論を否定してしまうと、同じ論法で自身の 「人殺しを否とする」 という考えをも否定されると思うが?

それは「人殺しを可とし、かつ命の相対化が可能である」という立論が立証されないのであれば「人殺しを否とする」共通理念を維持するべきというディベートの現状維持のスタンスをとっているから。
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