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a1859a55 :Anonymous
2016-04-20 12:43
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>>b7ea0277
>>63e7ba05
ありがとうございます。まず、共通認識を得たいのですが、総体としての自己(I)はスタティックの部分とメカニックスの部分から構成されます。そして、総体としての自己(セイタン)は、スタティックである本体部分を残し、残りの一部がメカニックスとしてゲーム(宇宙)に入ります。そして、メカニックスとしての自己(セイタン)は時間の軌跡上で分岐したり再統合を繰り返してきました。これが、セータラインの分岐と呼ばれる現象です。ケースレベルが上がると、自己の分岐した兄弟系列の断片の存在も認識できるようになり、また、自己の分岐した断片のケースも扱うことになります。そして、ケースレベルが上がると、自己のスタティックの本体部分ともやり取りできるようになります。また、自己のスタティックの本体部分は、他のスタティックのセイタン達とコミュニケーションを取ってもいます。
メカニックスとしての自己は、時間の軌跡上でいくつも分岐している可能性があります。古い軌跡上では、このセータライン全てを管理していたマスターラインの断片のセイタンを「マスター」と呼んでいました。
物質宇宙の創造者をこの宇宙の神々と呼ぶこともできるでしょう。そして、物質宇宙の創造者にとっては、マジック宇宙の創造者が神々でしょう。神々の上にはさらに無数の神々が存在しています。しかし、それでも彼らは、私達と互角の対等な存在です。たとえ、今縮小してしまってパワーを失っているとしてもです。自己を蔑むことは名誉のコードの逸脱となり、螺旋状悪循環に陥ることにつながります。
地球上に存在しているセイタンは、かなり断片化が進んでしまったケースが多いと思われます。ちなみに、LRHの断片のひとつは、地球上のLRHに少し遅れて、銀河系の他の惑星でブックワンを発表し、それはサイエントロジーへと発展しました。しかし、現状では基本的な哲学や技術のスクウィレルがひどく失敗に終わったようです。
完全なる自由とは無になることではありません。全ての経験を保持しながら、ゲームに参加する自由とゲームから降りる自由を回復させるものです。それは、スタティックでいることもできますし、ゲームに入ってメストと戯れて遊ぶこともできる自由です。
仏陀は、涅槃に入ったと言われていましたが、実際には今、星間系列で立ち往生してモッカリー(まがい物)のスタティックの状態にいて、それを究極の悟りであると勘違いしているようです。仏陀はこの物質宇宙すら抜けられなかったのです。
したがって、仏教の説くニルバーナは、サイエントロジーの完全なる自由よりも劣った概念です。なぜ、仏陀はこの宇宙を抜けられなかったのでしょうか?それは、力とコミュニケーションと責任を避けたからです。あいにく、理性やエシックスは力の上位に位置します。この宇宙では、力を避けて理性の領域に到達することはできません。ですから、誰もサイエントロジー以前はこの物質宇宙を脱出できなかったのです。
もちろん、サイエントロジーがセイタンの自由を回復させる軌跡上で最初の試みではありません。かつての銀河文明でサイエントロジーの前身が存在しています。しかし、インプラントに誤用され失敗しました。
仏陀自身は唯識論は説いていません。唯識論は後のアビダルマ哲学で説かれました。サイエントロジーは唯識論ではありません。サイエントロジーはクリスチャンサイエンスや唯識論とは全く異なります。彼らは、全てをイリュージョンであると説きます。イリュージョンとは、質の劣ったイズネスです。全てがイリュージョンだとしたらそれは存在していないということです。サイエントロジーでは、それは存在する!と説きます。なぜなら、全ての存在はポスチュレートだからです。ポスチュレートは単に思考ではありません。物質、エネルギー、粒子、形態その他存在するものは全てポスチュレートです。そして、それは多かれ少なかれあなたが創造し続けているゆえに存在しているとサイエントロジーでは説くのです。したがって、サイエントロジーでは、オールドタイマーさんが言われるようなアクチュアリーやリアリティーの立て分けはありません。
全てのゲームは、無限に増殖し続けるという性質があります。個々のゲーム(宇宙)は取り消すことができますが、ゲームという状態そのものを取り消すことはできません。せいぜい全てを取り消した振り(ポスチュレート)ができるだけです。一度始まったものを無かったことにはできません。失うものや減るものもありません。創造はただ増えていくのです。
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