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    2010-02-06 10:18
  
 
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    >>94b93a01
    
    不随意にやっていることを随意にやってみることは、大抵何らかの認識の拡大を
    もたらす。"僕"と"俺"の相違を随意に感じ取ろうとするのは、言語におけるヴィ
    パッサナーであり、何か面白い発見をもたらすと思う。
    
    他にも、複数の言語間で比較しながらやってみるのも面白い。
    
    "私は彼女を守る。" ≈ "I protect her."
    "私は規則を守る。" ≈ "I follow the rule."
    "私は約束を守る。" ≈ "I keep my promise."
    
    日本語の"守る"は"結果として対象の安全や効力が損なわれることを防ぐ"という
    意味があり、行為の形態の違いは無視される。
    
    "I draw an apple on a sheet of paper." ≈ "私は1枚の紙の上に1個の林檎を描く。"
    "I draw my sword out." ≈ "私は剣を抜く。"
    "I draw closer to the building." ≈ "私は(地面や床の上を移動して)その建物に近づく。"
    
    英語の"draw"には"2つの何かが擦れる"という形態を意味に含んでいるが、結果
    の違いは無視される。
    
    オーディティングにおいて、このようなことはしばしば大きな問題となる。
    
    "What have you withheld from another?"は、"あなたは他の人から何をウィズ
    ホールドしましたか?"と訳されている。日本の菜園人はこの質問で特に罪のあ
    る隠し事を探られているように感じやすい。一方、アメリカ人にとって、この質
    問への回答は、相手の気持ちを考慮し、いわないでおいたことも含む。日本人は
    ウィズホールドしたことによって結果として生じた気持ちに注意が向くのに対し、
    アメリカ人はウィルホールドするという行為の形態に注意が向く。
   
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