邪馬台国は九州に在った

89a0a622 :Anonymous 2015-06-27 12:45
結局ね、学者様は根本から間違ってると思うわけよ。
邪馬台国は九州にあったが女王を立てる訳ぐらいだから、武力に長けた国じゃないわけよ。
住むのに適した土地で発展した村社会を呪術で連立させてた古い南洋のシャーマニズムじゃない。
航海には長けてたから当然大陸とも少なからず交流があったわけでしょ。
で、近畿の大和や天皇に繋がるのが南九州の勢力だったんじゃないのかな。
南九州の勢力は元から勢力が大きくて四国や紀伊半島まで古くから結びついてたんじゃ。
ただ、熊本の険しい山中で北九州の邪馬台国とは分断されていたと。
つまり卑弥呼の方は古代天皇勢力と敵対してた方なわけ。
で、中国の後ろ盾むなしく侵略吸収されちゃったわけだ。
で、卑弥呼ババアの後に立てられたのがイヨでこいつは天皇側の人間だと思うんだわ。
中国の後ろ盾のあった邪馬台国の名を利用できて、都合が良かったんで大和を名乗ったんじゃないのかな。
ここまでだと古代天皇側が悪いみたいに聞こえるけど、中国に頼ってた卑弥呼邪馬台国の方がどっちかと言うと外患誘致側なんだよね。
日本で統一国家を築こうとした天皇側の方が日本独立派になるわけで、ただ、中国とのパイプは利用したいってことはあっただろうし。
文献にでも残っていない限り想像でしかないわな。
ただ言えるのは畿内説派による天皇と卑弥呼の安易な結びつけは明らかな歴史捏造だろうよ。
というわけでぼくちゃんの新説邪馬台国外患誘致により南九州の天皇に吸収させられましたでよろしく。
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