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339066ac :Anonymous
2011-11-21 18:51
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トマトケチャップと潜水艦
2001.02.21
日本の潜水艦の食事に規定が有ったのを、始めて知りました。昭和6年に潜水艦航海糧食表
と潜水艦航海食養価表が作られました。その後、数次の改正が行なわれ、昭和18年9月に改正
された表に始めてトマトケチャップが登場します。今回は、太平洋戦争とオムライスには欠か
せないトマトケチャップについて書いみたいと思います。
トマトケチャップが、いつから海軍で使われるようになったのかは、はっきりしません。愛
知トマト(後のカゴメ、以後カゴメと呼びます)のケチャップ(ビン入り)は太平洋戦争開戦
時にはそのほとんどの生産が軍納品で占められていました。昭和17年秋頃には軍納品以外の製
造は不可能になってしまい、昭和18年始めには海軍の監督工場に指定されます。軍納品は毎
月、大湊、横須賀、大阪、呉、舞鶴、佐世保などの海軍の基地の軍需部を回って注文を貰いそ
の注文をまとめて海軍省に行き、ケチャップの製造に必要な砂糖、塩、酢酸クエン酸、香辛料
のチケットを切って貰い、横須賀と羽田(第一衣糧廠)の海軍貯蔵庫で材料を受け取ります。
これらの材料は終戦まで不足したりすることはありませんでした。
戦争がたけなわになるまで、ケチャップはビールビンに詰めていました。しかしこれは重量
があるうえ、かさばり輸送効率が悪く、ビンも回収する事ができないため、カゴメに対し昭和
16年、海軍軍需部より「固型ケチャップ」の開発が命ぜられました。当時は外国でも試みられ
ていませんでした。1ビンのケチャップを濃縮して煙草の箱より少し大きいぐらいのものに固
めるものでした。戦前は当然、フリーズドライ(真空凍結乾燥)などありませんでしたから、
加熱濃縮しか方法はありませんでした。ケチャップ中の糖分は加熱することによりキャラメル
化し焦げ臭くなってきますし、食酢(酢酸)は揮発性を持っていますから加熱すると酸味が飛
んでしまいます。そこで加熱方法に工夫を加え熱風乾燥で濃縮し、酢酸の代わりにクエン酸を
使用し、昭和19年始め頃から生産に入りました。
製品はロウ紙で包んで密閉し、紙箱に入れて出荷されました。ロウ紙用のパラフィンや紙箱
用の厚紙も海軍から支給されました。
固型ケチャップは将兵には好評だったようで、戦後、カゴメの関係者の友人だった潜水艦乗
りは次のように語ったそうです。
「毎日毎日青海原ばかりながめて暮らしている海上勤務の将兵にとって、あの穏やかな赤
い、さえた色は何とも温かく、そしてあの甘酸っぱい柔かな味は心にしみるようで、今も忘れ
られない。実際に溶かして食べるより、さいの目に切ったり、薄くスライスしたりして熱いご
飯の上にのせて食べたが、非常にうまかった。あれを見ると、食欲がわいたものだ。」
終戦により固型ケチャップの生産は打ち切られました。
引用・参考文献
日本海軍食生活史話 瀬間 喬 昭和60年発行
カゴメ八十年史 昭和53年発行
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