Freezone

f9e6b9f5 :old timer i1b5ibip3kS 2010-03-31 14:52
利他一辺倒だと、宗教は大きな問題を生む。キリスト教はもともと利他的すぎる
ところがあったため、中世の約1000年に渡って、教会は抑圧的な存在になった。
利他的すぎる教えは、利己的な個人に対する批判や弾圧につながってしまうのだ。

人の物を盗むようであれば、その手を切り落としなさい、という旨の教えがキリ
スト教にはある。これは確かに利己的な行為に対する戒めなのだが、結局、これ
は残酷な刑罰を正当化するのに用いられた。

イスラム教を創始したムハンマドは、盗人が反省すればアッラーはお赦しになる、
と説くことで、キリスト教に由来する残酷な刑罰を抑制させなければならなかっ
た。ムハンマドは用心深かったため、"アッラーは何度でもお赦しになる"と付け
加えた。しかし、イスラム教がその社会の公共領域から残酷さを取り除くことは
難しかった。今でも難しい。

ある程度の利他的志向性に加えて、利己と同形個人の概念がなければ、人道や人
権は確立されない。

原始仏教は慈悲の瞑想によって最初からその域に達していた。古の知恵でありな
がら、慈悲の瞑想は近現代を包含している。
Powered by shinGETsu.