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    f962fa9e :Anonymous
    2010-04-01 14:34
  
 
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    >"悟りというのは今、この状態のことを言うのであって、もうすでに持っている
    >ものを手に入れることはできない"のであれば、トンレンも、ウィルバー自身が
    >考案したILPも無駄ということになる。さらにいえば、禅も不要ということにな
    >る。
    
    それが悟りを得るために行われるものならば、そういうことだと思います。
    ですから、トンレンは慈悲の心を養うのには有効かもしれませんが、
    トンレンを実践したことによって、未来の時点において悟りに到達する、というものではないということでしょう。
    従って、トンレンの存在そのものが無用ということではないと思います。
    悟りの手段として行っても無駄であるということであって。
    
    これは禅でも散々言われていることであって、坐禅を組んだ結果、悟りという状態を経験する、というものではないそうです。
    「石を磨いても鏡にはならない」という言葉は有名ですよね?
    それならなぜ坐禅を組むのかというと、そのことに気づくためではないでしょうか?
    私は坐禅は経験したことないのでなんとも言えませんが・・・。
    ケン・ウィルバーは1日3時間の坐禅を欠かさなかったそうです。
    坐ってみて初めてわかる理解ではないでしょうか?
    
   
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