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f4ae83b1 :Old Timer i1b5ibip3kS
2017-03-11 11:04
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森友学園の籠池さんについては、まぁ、道徳教育の本質あるいは基
礎がわかっていない人なのだろうと思う。
論語より
` 子の曰わく、「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十
` にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)
` ふ。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)え
` ず。」
孔子が学問を志したのは15歳の時だ。これは今の中学生たちが高校
受験を経験する年齢にあたる。孔子は自立したのは30歳の時として
おり、これは今の大学生の就職よりずっと遅い。実際、孔子が定職
に就いたのは28歳の時だ。
1750年のスウェーデン人の平均寿命が38年だった。それよりはるか
昔、多くの人々が30歳になる前に死んでいたであろう中国で、孔子
は生涯学習を説いている。彼は約2500年も時代に先行していた。OT
だったんだろうねぇ。
あまり幼い子を道徳教育にさらしてはいけない。深い理解を伴わな
い年齢であまりに道徳教育を受けてしまうと、目先の生活で道徳が
役に立たないことが多い、ということを学んでしまうのだ。その結
果、道徳が心の中で建前となり、形骸化してしまう。
察するに、籠池氏も早すぎる道徳教育の被害者なのかもしれない。
一方、孔子が学を志したのと同じ年頃の、15歳の中学生が教育勅語
について考えるのは悪くないことだ。教育勅語は儒学に基づいてい
るのだから、勅語ファンは、儒学の創始者の言動も鑑みたほうがい
い。
菜園生徒の帽子でも、もともと、学習者側に批判や拒絶の能力があ
ることを重視している。拒絶能力をリハビリさせる学習ドリルとい
うものさえあるのだから。
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ところで、子供を社会にうまく順応させたいならば、「人に迷惑を
かけてきなさい」といえばいい。人は生きているだけで誰かに迷惑
をかけている。迷惑の本質の一端は、迷惑をかけている側がそのこ
とについて無自覚であるということだ。迷惑をかけていることを幼
いころから自覚すれば、人の将来は概して明るいものになる。
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