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ec7900c5 :Anonymous
2010-02-03 15:54
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>>f99d9c86
このような記述を読むと、その昔、病気治しの思想としてはじまった「生長の家」、
谷口雅春氏のことを思い出す。
若かりし頃の彼は、病気も貧困も不和も、この世の一切のわずらいは
「神想観」の実践で必ず治るはずだ、と考えていたようにみえる。
しかし、長い月日と共に彼の考えにも変化が訪れてくる。
晩年、彼は、他の計らいを捨て、実相(秩序のイデアとしての神)にただ委ねることに
重点を移していった。
経験的にも、実践者の多くが、(執着の多い)当初の問題はなかなか解決せず、
その他の諸々の生活問題の方が先に、本人すら気づかぬ内に、
知らぬ間に消えていくことを体験していたことにもその要因があったのだろう。
実相と一つになる、ということを理念としたシンプルな瞑想法を柱とする彼の実践も、
現状を、自己の計らいによって、ああしたい、こうしたい、という思いから放れて、
神に任せきって行うことにより、その本来の成果がおのずと現れてくると
考えられていたのである。
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