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e554d851 :Anonymous 2025-04-29 08:26
>>99542b5b

行学を極めるほど疑いが生じる。これは、自然なことである。疑い晴れぬまま、疑いの心を押し殺して信じることを信仰(無明・盲目の状態で信じること)と云う。疑いを重ねて、もう疑うものが何もなくなり、あらゆる疑いを晴らした状態が、仏教における信(確信)である。それは、もはや疑うものが何も残っていないという意味での信である。疑うものが何も残っていないゆえに、学ぶべきことも何も残っていないのであり、これを無学という。無学とは、無上の悟り(無上正覚)を成就した状態である。
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