- 
    e4bc1c59 :old timer i1b5ibip3kS
    2010-06-18 10:49
  
 
  - 
    >>84bc2c42
    
    結局陳腐な常識論に帰結しそうだ。
    
    人間が人生に対して起因になれるかどうかを決定づける要素に、
    
    ·魂の潜在能力
    ·肉体の状態
    ·ケースレベル
    
    に加えて、
    
    ·習得済み技能
    
    の部分が極めて大きいというだけのことかもしれない。幅度は技能の習得を重要
    視していたが、そういう傾向は必ずしも多くの菜園人に継承されているのではな
    い。菜園人は菜園に直結する技能の習得には熱心だが、菜園外の技能で自らの強
    い興味の対象とはなっていないものを軽視する傾向がある。お金があるのに、子
    供にまともな教育を受けさせない菜園人が、菜園の"聖地"には多い。
    
    しかし、通常、大胆に行動するとか、そういう方向付けだけでは人生をうまく渡
    れない。もちろん、逆方向に、慎重に行動するとかだけでもダメだ。どれくらい
    そうするのか、そこのところが実は難しい。
    
    大胆にせよ、慎重にせよ、行動を成功に結びつけるには、方向の設定に加えて、
    程度の見積もりが必要になる。この見積もりは万人に対して固定できない。
    
    菜園人は新しいことを始める際にややせっかちなところがある。菜園人は時間が
    かかることを好まない。しかし、大抵の物事には適切な時期というものがある。
    せっかちすぎて大胆な行動に出て、不本意な結果に終わることが重なれば、逆に
    慎重に行動することを強いられる。
    
    誰かに一目ぼれしたとしよう。その日のうちの結婚を申し込むのも、最初のデー
    トに誘う前に20年も考え続けるのも、ほぼ確実に不本意な結果に終わる。恋愛や
    結婚に積極的であり続けている人は、その行動が他者に大胆さを印象付けるもの
    であっても、確固たる技能を有している。大胆であることに技能は不要だが、大
    胆であり続けることには技能が必要だ。
    
   
Powered by shinGETsu.