- 
    e080c57b :Anonymous
    2016-12-27 10:55
  
 
  - 
    >>323cc6b7
    
    まず、四神足は八正道の実践が前提となっていますから、後世の何者かによる創作です。また、阿含経には、その具体的な実践方法が説かれていませんので、実践しようともできません。
    
    仏教の修行が神通力をもたらすことは阿含経の通りですが、本当はもっとたくさんの種類があります。なお、釈尊は神通力を用いることを否定はしませんでした。まあ、現代において使っても手の込んだマジックだねと思われるのが落ちでしょうね。
    
    摩訶止観は天台大師が、法華経になかった修行法を阿含経からこっそり借用したものです。四神足も摩訶止観も思弁に基づいた瞑想法であり、釈尊の教義とは反します。つまり、観念の類いであり、釈尊オリジナルの技術と較べればがらくたに過ぎません。
    
    釈尊は思弁(サイエントロジー用語ではフィギュア・フィギュアあるいはサーキット)を絶つことを説きました。そして、そのために心を映像として観察することを説いたのです。これは、ダイアネティックスやサイエントロジーと同じと言えるでしょう。
   
Powered by shinGETsu.