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    d648e9e7 :NEO UNIVERES
    2011-06-28 15:53
  
 
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    >>a8cecf0a
    
    菜園の考えでは、意志の実現は何らかの有害チャージがなければ、タイムラグを伴わずに実現されると言うのは深い考え方ですね。
    
    例えば、音楽家になりたいと思ってる人がいたならば、そのことに対してチャージがなければ、音楽家になりたいと思った瞬間にすでにその人は音楽家であり、音楽家になるのが難しいとか、音楽家に必要ものとか考え出すとそれがチャージになって、タイムラグが生じて意志の継続が難しいと言うことですね?
    
    昔、ヴィパサナー瞑想法をやってるときに、その瞬間の一瞬、一瞬に全てのものが存在して、幸せも苦しみもその一瞬に存在して、特別に幸せを求めなくても、その瞬間に幸せを感じることができるれば幸せなのだ、と言うのを感じたのですが、確かにチャージがなければ幸せは常にその瞬間に感じることができるように思います。
    
    ヴィパサナーの気付きとしては、これは正しいと思いますか?
    まあ、仏教は一切苦なので間違ってるかもしれませんが、菜園的にはどうでしょうか?
    菜園の幸せ感は、幸せへの道に書いてる通りで良いでしょうか?
    
    
    生徒の帽子と、幸福の二つのルールとはどのようなものですか?
   
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