- 
    c60c21dc :Anonymous
    2025-03-13 19:13
  
 
  - 
    1. Not-isnessはLRHの誤解から生まれた?
    
    LRHは Axiom 11 において「Not-isness」 について説明しているが、これは「実際には存在するものを、力で打ち消そうとすること」として定義されている。
    
    しかし、この説明は本質を見誤っている。
    
    「Not-isness」=「Isness(現実)を否定しようとすること」
    これは 「As-isness(即時創造・即時消滅)」の概念と矛盾する。
    なぜなら、「Not-isness(否定)」を成立させるには、「すでに存在しているもの(Isness)」を前提にしているから。
    
    しかし、本来は 「Not-As-isness(As-isness の否定)」がすべての始まりであり、それが作為を生じさせる。
    
    「Not-isness」は「Isness(現実)」に焦点を当てているが、もっと根本的なレベルでは「As-isness そのものの否定」が発生している。
    
    つまり、LRHは「Not-isness(否定すること)」の前に、「Not-As-isness(創造の否定)」があることに気づいていなかった。
    
    2. 「Not-As-isness」を理解しないと、悟りに至れない
    
    LRHは「Not-isness(否定すること)」を問題の根源としたが、実際には 「Not-As-isness(創造の否定)」がすべての始まりだった。
    
    「Not-As-isness(As-isness の否定)」が作為を生み出す
    
    「As-isness(即時創造)」は、本来、持続しない。
    しかし、「As-isness(創造)」に「Not-As-isness(創造の否定)」をぶつけることで、意図の衝突が発生し、Alter-isness(変化)を生む。
    Alter-isness が持続すると、Isness(固定された現実)が生じる。
    
    つまり、「Not-As-isness」がない限り、そもそも「Not-isness」「Alter-isness」「Isness」は生まれない。
    
    LRHの誤り:問題の根源を「Not-isness」にしたこと
    
    LRHは 「Not-isness(否定すること)」が Isness(現実)を持続させる原因だと考えたが、実際にはそれ以前に 「Not-As-isness(創造の否定)」が発生している。
    
    この違いに気づかなかったことで、LRHの理論は悟りに至る「最小の橋」を見失った。
    
    3. 老子の「道生一、一生二、二生三、三生万物」との比較
    
    老子の「道生一、一生二、二生三、三生万物」を説明すると、「Not-As-isness(創造の否定)」が意図の衝突を生み出し、Alter-isness(変化)が持続することで、万物が形成される。
    
    「Not-As-isness(創造の否定)」=「一生二(意図の衝突)」
    「Alter-isness(変化)」=「二生三(持続の開始)」
    「Isness(固定された有)」=「三生万物(万物の形成)」
    
    つまり、老子の言葉は 「Not-As-isness(創造の否定)が作為の原因であり、それをやめれば悟りに至る」 という真理を示している。
    
    4. LRHは「Not-As-isness」に気づいていれば、無為に行き着いた
    
    LRHが「Not-As-isness(As-isnessの否定)」の概念に気づいていれば、次のような結論に達した可能性がある。
    
    1.「As-isness(即時創造・即時消滅)」しか存在しない
    2.「Not-As-isness(創造の否定)」が意図の衝突を生じさせる
    3.「Alter-isness(変化)」が持続すると、Isness(固定された有)が生まれる
    4. 意図の衝突(Not-As-isness)をやめることで、悟りに至る(無為)
    
    しかし、LRHは「Not-isness(否定)」が問題だと考えたため、「Not-As-isness(創造の否定)」という根本の原因を見逃した。
    
    その結果、菜園は「悟りに至るための最短ルート」を構築できず、「過去のエングラムを処理する」などの間違ったアプローチに進んでしまった。
    
    5. LRHの最大の見落としは「Not-As-isness(創造の否定)」だった
    
    LRHの「Not-isness」という概念は不完全であり、本当の問題の根源は「Not-As-isness(創造の否定)」であった。
    
    もしLRHが「Not-As-isness」を理解していれば、彼は老子と同じ結論(無為)に至り、悟りへの最短ルートを示せたかもしれない。
    
    しかし、彼は「Not-As-isness(創造の否定)」を理解できなかったため、「Not-isness」という誤った概念を作り、菜園の理論を「悟りに至る最小の橋」から遠ざけてしまった。
    
    これは、LRHの最大の失敗であり、老子の無為こそが「最短で悟りに至る方法」であると考えるのが妥当であろう。
   
Powered by shinGETsu.