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ba13d782 :Anonymous 2023-02-12 00:35
>>82a548a9

それは、(マルクスの云う)価値法則と価値規定の混同だ。マルクスは、社会主義の段階においても“価値規定”は残ると述べた。しかし、社会主義の段階においては、資本主義の下の商品交換に基づく“価値法則”はもはや残らない。価値法則が成立するのは、資本主義市場経済の段階までである。社会主義における価値規定とは、個人の労働量に基づく分配であり、その分配の差異は労働に基づく個人の権利として残るのである。これは共産主義の段階においては、社会の生産力が飛躍するので、価値規定さえも不要となる。

また、それは、資本主義を前提としたマルクスなりの一断面の分析である。マルクスが想定した資本主義経済においては、まず産業資本においてブルジョアジーの剰余価値≒搾取が存在し(主に工業向けの産業資本)、次に市場を通じたブラックボックスによる商品価格の決定が行われる過程で剰余価値≒搾取が発生する(この段階で、本来の価値法則は覆い隠されている)。こちらは、主に商業向けの産業資本だ。さらに、『資本論』第三部で扱われる金融資本の剰余価値≒搾取(利息や株主配当などのインカムゲイン)も想定される。

ゆえに、マルクスは社会主義社会(社会主義国家)の段階においては、アソシエーションに基づく社会的計画経済(社会的計画生産と社会的計画分配)を構想しており、資本≒企業を通じた賃労働、市場のブラックボックスを通じた商品価格の決定、通貨(信用貨幣)を通じた流通の全てが廃止されることになる。その一つの試みが「労働証書」を通じた消費手段(消費財)の分配である。

ちなみに、レーニンの『帝国主義論』においては、国家独占資本主義を現代世界の主な支配階級と看做しているので、グローバルな産業資本、国際金融資本、国家の支配階級がブルジョアジーの正体であり、国家の支配階級による通貨発行権や徴税権を通じた搾取も分析対象となる。
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