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9b94ae9c :勘ぐり屋
2009-11-02 02:00
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準OTは肉体死後も再生後も自己の継続性を意識し得るがゆえに、時間に対する切迫性が希薄になってるということはありませんか?
僕らの住む宇宙では、大規模な変動がいつ起きるかも知れず、強大な神々が作為なく、お遊び程度にであれ、この銀河に軽く目配せをするならば、僕ら小さな魂の意識の継続性など吹っ飛んでしまうくらいの衝撃が生じることくらい想像に難くないでしょ?
今ふと思ったのですが、チベット仏教徒等の一部が、何としても今生で悟りを啓くとコミットすることの意味合いは、こういうとこにもあるのかも知れないな。。。。(違うか)
ちなみにパワー・ルートよりのチベット密教僧やヒンズー教のヨーギー、中国や台湾などの仙道修行者等は、自分が準OTレベルほどのケースレベルに達した後はさしてチャージ処理などせず、パワー・ルートをひたすら歩むのはどういうわけなのでしょう?(彼らは再刺激による問題が浮上してきた時点で、それに対処していますよね)
それから幅度はその口が何と言おうと、能力至上主義の男でしたし、チャージ処理に関しては、ある段階まで達すると、その後、果てがなくなるということを知っていたのではありませんか?そしてその間に自分がOTになろうと、時間稼ぎをしていたのではないかと。。。
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