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980a186b :Anonymous
2018-06-16 22:11
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SPの話題になりましたが、SPの存在性や、存在する意味についてはオールドタイマーさんはどう思われますか?
僕が考えるのは、全ての魂はもともと1つで、自分の嫌いな所を嫌がって分岐させるのだとしたら、SPはもともと善良な魂の一部分だったことになると思います。
そうだとしたら、善良な魂が自分の暴力性や残虐性に気付いて、それを分岐させたことになると思います。
そうして、それに特化した人間がSPではないでしょうか?
つまり、SPのような暴力性や残虐性はほとんど、どのような人間にも備わっていていると言う事です。
では、その暴力性や残虐性にどう対応をするのか?
それは、その暴力性や残虐性を自分と言う人間の中にあるのも認めて、それが自分と言う人間なのだと認める事ではないでしょうか?
幸いにも芸術と言う分野では、それは不良品ではなく個性として表現され認められます。
それが、最も上手く行った例は音楽でありロックであると思います。
どんなに破壊的な表現であっても、それは芸術に消化され人々のトーンスケールを上げます。
スリップノット等が、最も良い例だと思います。
僕はスリップノットのライヴに過去に行った事がありましたが、とてもハードなライヴでぶっ飛んでいましたが、ライヴが終わった時には、会場中が一体感に溢れ愛に包まれていた感じがしました。
つまりは、自分の暴力性や残虐性に気付いてそれを分岐させないこと、そして、どんな、人間にも自分と言う人間を表現する方法が正しいやり方であると言うの事を知って活動をする事ではないでしょうか?
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