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9225d417 :Anonymous 2025-04-17 19:16

悟りとは、コグニションのグラデーション(スペクトル)です。悟りは段階のスケールですが、解脱は成就と未成就の二者択一です。無上正覚と呼ばれる最上にして最終段階の悟りは解脱と同義です。無上正覚以下のコグニションは、クリアー・コグニションを含め、悟りの一分[いちぶん]ではあっても解脱ではありません。

究極の悟りは、究極のノーイングネスに至ることであり、言い換えれば潜在的全知能力を獲得することです。究極の悟りにおいては、言語道断・心行所滅・無念無想の境地において、MESTの刹那生滅即ち空性を看破することになります。この究極の悟り並びに解脱の境地では、自らの存在性の本質であるアートマン(≒セイタン)と、かつてヴェーダ教徒によってブラフマンとも呼ばれた究極のスタティック(≒涅槃)が本質的に同一であることが認識されます。これが、梵我一如であり、梵我一如とは、自己の存在性たるアートマンがブラフマンに溶け込むといった意味(後世の誤った解釈)ではありません。ブラフマン(涅槃)とアートマン(自己)との関係は、不可分(同質)でありながら独立しているのです。

解脱を輪廻転生(即ち肉体)の必要性からの開放と捉えることは、矮小化された解釈です。輪廻転生の必要性(輪廻転生のサイクル)から脱しても、よりメタなセイタンのライフ・サイクルが存在するからです。セイタンのライフ・サイクルは、より長遠な時間のサイクルであり、オバート−モティベーター連鎖及び反応バンクの核であるGPMと関係しています。このオバート−モティベーター連鎖及びGPMこそが、セイタンの反応バンクを通じたMEST化の元凶なのです。
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