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8a5cc6e4 :Anonymous 2016-04-21 23:44
>>1656a9ba

ありがとうございます。

「「我々はみな、ひとつの型からつくられた」あるいは、「我々はみな、同じものであった」と仮定した哲学者はひとりだけではありません。これは、全く意味の無い問いかけです。プロセシングによって、私たちは誰もが個々のにんげんであり、同一の人間ではないということがかなりはっきりと証明されます。そして実際、みな同じ人間であると信じている人々は、かなりの困難を経験しています。しかしどうやら、少なくとも私たちがみな完全に正気であったとしたら、私たちはみな同じ人間に なれる ようです。私たちは、意識していることを意識している個体として、基本的にみな異なっています。私たちは同一の「生命のプール」にいるわけではありません。(共産党がどんなにそう信じたがっていようとも)私たちはみな、明らかにそれぞれ異なった資質を与えられているのです。」

「究極の真実」は無です。これは、『人間の能力の創造』でより一層の研究が行われています。しかし、この「究極の真実」は人生ではありません。人生は、「コミュニケーションできない」と「コミュニケーションしなければならない」という見せかけから構成されています。人生は、この複雑なコミュニケーションのもつれと自分でつくり上げた障害から構成されており、それが私たちにゲームをもたらします。」

以上、『ダイアネティックス55!』より。

視点や自我もコンシダレーションであるということだとすると、個々のセイタンは虚無領域においても、時空領域においても不滅ではないということですね。自我の消滅という哲学的主題や自我もメカニックス(見せかけ)ではないが、コンシダレーションでありアズイズ可能であるとなると、ものすごい再刺激的なことです。少なくとも、コギトは不滅の実在だと考えていました。あとは、自分でOTになって確認擦るしかないですね。
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