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    80602134 :Old Timer i1b5ibip3kS
    2016-09-25 08:17
  
 
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    >>aadc0671
    
    その原因は菜園用語での「責任」の減衰だ。責任とは、過去の行動について自らが起因だったことを認める能力と今後の行動を
    制御する能力でできている。この二つは一体なのだ。だから、過去の行動について自ら起因だったことを否定してしまうと、
    れについての解釈と、これに関する行動を制御を、自分以外の何かや誰かにゆだねることになってしまう。 >>00e66f8c に出てくる
    「車を買いたくなったから」と言っていた奴は、過去に教会にやってきて、そこで金を払ったことについて、自らが起因だったことを
    完全に、何のためらいもなく認めることができたから、その後も起因であり続けたのだ。
    
    責任は集団にも当てはまる。例えば、日本という国にもね。時々、んまあ、保守を自称する政治家が、
    「あれは侵略戦争でなかった」なんてことを言う。日本には国土に奥行きがないから、とても守りにくい国だ。
    朝鮮半島への進出には奥行きの確保という防衛目的があったのは自明だと思うけど、民族自決の原則が確立した会議に、
    主要国として参加していた日本が満州国を作ったことについては、やっぱ、野心があったのは明白だ。
    大陸で得られるであろう利益が欲しかったのだ。これをスパッと認めることができなければ、日本はアジアの外交でで起因になれない。
    
    一方、ドイツは野心も加害の事実も完全に認めてしまっている。ヒトラーはヨーロッパを統一しようとした。ドイツは
    野心と加害の事実をきっちり認めたからこそ、ヒトラーが目指したヨーロッパの統一を結局別の形でほぼ実現した。ユーロ圏の誕生だ。
    世界大戦で二度負けた国が、今やヨーロッパの盟主の一つになっている。
    
    直面を避けるメカニズムは、列時が指摘している。「肉体はサービスファクシミリだね」だ。いや、肉体に限らないね。本来、
    魂は何もまとう必要がない。何もまとわない、まっさらな魂ならば、自由かつ無敵で、
    どんな出来事によってもエングラムができることはない。魂が自らと対象の間に何かを置いてしまえば、その
    何かが失われることを心配せねばならなくなり、直面は完全ではなくなる。
   
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