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7e260d18 :Anonymous
2022-11-06 03:59
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>>f22fa8f6
私の場合は、ゴータマ・シッダールタの無謬性に対する信仰というより、前提として、サイエントロジーの基本原理に対するリアリティを得ていたことで、サイエントロジーのデータに対する信仰(論理的な補外に基づく判定)があるのだと思っています。
パーリ仏典とサイエントロジーの基本原理は矛盾しますし、外在化とインプラント等もパーリ仏典には説かれていません。また、パーリ仏典には“物理的な場所として”地獄の有り様が説かれています。論理から、両者のデータに矛盾がある場合はどちらも真ということはあり得ないため、どちらか一方が真でどちらか一方は偽であるか、あるいはどちらも偽であるということになります。私は個人的経験からサイエントロジーの基本原理を信じているので、パーリ仏典が真実ならば(※当時は、漠然とパーリ仏典を、文献学的に基本的には、大乗仏典と異なり史実に基づくもの[仏教の基となるデータム]だろうと信じていた)、ゴータマ・シッダールタは馬鹿(愚か)だったのだろうと結論付けました。この時点では、ゴータマ・シッダールタに対する無謬性の信仰(信頼)は全くありませんでした。
ただ、一つ気になっていたことは、LRHのOTⅧのマテリアル(旧版)に書かれた「この惑星でインプラントに影響されていない宗教はオリジナルの仏教だけであった」という言葉です。少なくとも、パーリ仏典とサイエントロジーの基本原理とは相容れないものです。果たして、そのオリジナルの仏教とは、パーリ仏典と同じなのか、それとも異なるのか?異なるとすればどの点がどのように異なっているのか?
その後、その真相を知る時が来ました。ゴータマ・シッダールタの最期の言葉(遺言)と実際に説かれていた法を知り、パーリ仏典と実際のゴータマ・シッダールタの教えは、部分的に異なるといったレベルではなく、全く異なるものであった(別物であった)ことがわかりました。ゴータマ・シッダールタの遺言により、パーリ仏典の結集(経典編纂)などといった史実は存在し得ないものであり、パーリ仏典に権威を与えるための偽のストーリーであったということも。むしろ、非仏(≒創作)説が定説となっている荒唐無稽なストーリーの大乗仏典やウパニシャッドのほうが、パーリ仏典のアンチテーゼである分、オリジナルの教えのエッセンスに近い部分も存在するくらいの違いです。そこで説かれていた教えは、使われている用語こそ異なれど、サイエントロジーの基本原理と非常に親和性の高いものでした。私はパーリ仏典を根拠にゴータマ・シッダールタに対して否定的(侮蔑的)な評価を下したことを恥じました。その時から、私はゴータマ・シッダールタの説かれた法に対して、補外法による無謬性を信仰するに至りました。ですが、私は前述の通り、ゴータマ・シッダールタの教えが方法論(技術[修行法]やアドミン[教団の運営])として完成されていたとは思っていません。
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