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7828eb69 :Anonymous
2016-05-15 19:22
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>>bfeaed10
善悪の基準については、次の釈迦の言葉が参考になるかもしれません。
「ある行為をして、後で後悔し、涙して嘆きながら苦い報いを受けるなら、それは良い行為ではない。ある行為をして後で後悔することなく、喜び、こころ楽しく報いを受けるなら、それは良い行為である。」(『ダンマパダ』)
私は、LRHの文献は現時点において、優先して参照すべきデータの一つにすぎないというスタンスです。
なぜなら、LRHがテックとアドミンを全て完成させて肉体を離れた訳ではないからです。LRHは死の直前までテックとアドミンに手を加え続けていました。
私に言わせれば、勉強の技術もトーンスケールも粗削りで詰めが甘く、突っ込みどころは様々あります。
私はLRHの意図が悪であったとは思いません。しかし、LRHの人生は試行錯誤の連続であり、極めて人間的な人物であったと思います(もちろん、良い意味で)。
教会の問題の多くは、1982年で時が止まってしまい(公式には1986年ですが主題が脱線するので割愛します)、それ以降はその時点の暫定的な結論にすぎないデータが絶対的真理として強要されてしまったことだと思います。
その結果、サイエントロジストは思考できないロボットにならざるを得ませんでした。あなたが言われたようにサイエントロジーを学んで自己決定力が減少してしまっては、本末転倒でしょう。
教会の、時代背景や文脈を無視した我田引水的なLRHの文献の切り文的な引用、相矛盾するデータの数々。明確に述べられていないデータの数々。これらを無視して疑問を誤解語と決め付けて封印し、〝信仰〟を強要するため葛藤や罪悪感が生じ、サイエントロジーによって逆に自由を失い罠に嵌まってしまうのだと思います。
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