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77e14e7e :Old Timer i1b5ibip3kS 2022-11-04 07:55
バラモン教において、我(アートマン)は常(永続性)、一(独立性)、主(色に対する所有能力)、宰(色に対する支配能力)を具有すると考えられたが、シッダールタはこれらを否定している。例えば、宰を次のように否定した。

曰く、"比丘たちよ、色(Rūpa)は無我である。もし色が我であるならば、色は病気にかかることはなく、また我々は色に対して「私の色はこのようになれ、このようになってははならない 」と命じることができるはずである。"
"しかし比丘たちよ、色は我ではないため、色は病気にかかり、また我々は色に対して「私の色はこのようになれ、このようになってははならない 」と命じることはできない。…"

常や一について、シッダールタははっきりとは肯定も否定もしなかった。これを中道という。その後の仏教諸派では議論が続いた。

菜園では一も否定している。だからこそ、肉体にそれを操る主な魂以外の魂の断片が入り込んでいるという考えがあり、それを取り除くNOTsが考案された。魂は分裂し、融合する。

菜園より低いレベルの実践でも、魂の分裂はどうしても必要な想定になる。聴聞で地球の人として生きた前世が全く見つからないPCはいない。それにもかかわらず、地球の人口は増えつづけている。例えば、200年前の人口は約10億人だ。だから、平均すれば、200年前の1人は現在の8人くらいに増えている。
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