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53c02635 :Anonymous
2010-02-10 06:25
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個人的な願望を念頭においてるときと、慈悲の瞑想などで、慈しみの思いを
集中して喚起しているときとでは、意識の状態が随分違ってきますよね。
その状態では一時的にではあっても、「ストレス」と呼びなわされてるものは
ほぼ消えうせています。(しばらくすればまた戻ってはきますが。。。)
一般的に「ストレス」とは、個人的欲求とそれが満たされていないときの
ギャップにおいて強く感じるものだとも言えるのでしょう。
また雑念が少ない状態もストレスはありません。
集中と慈しみはそれを癒す作用を確かにもっています。
読経やマントラ、そして慈悲の瞑想は意識のモードをシフトさせてくれます。
では何故このようなことが起きるのでしょう?
なぜ慈しみが喚起されると、ストレスが軽減するのでしょうか?
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