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4bad4fd0 :Anonymous
2010-03-10 09:27
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世界に散乱した自己の回収と自己にあらざるものの分離こそが「私」のやることだ。
これはマニ教の時代から変わらぬ課題であり、それこそが自己の根源的全体性の回復だ。
この過程が進むにつれ転生への強制力は意味を失い、かつ究極的には輪廻しようがしまいが、どちらでもでもよくなる。
そのときこそ輪廻転生というコンシダレーションが無化されるだろう。
道の途上においては、能力の土台たる土壌は肥沃化され、それを用いて楽しむことも自由だ。
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