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    4185c624 :Old Timer i1b5ibip3kS
    2016-09-01 17:26
  
 
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    >>9f436108
    
    これは俺の個人的な考えなんだが……
    
    コグが大仰なものになると危ない。それは、扱っている対象が持ち前の能力に対して大きすぎることを意味している。
    
    コグの上に新しい実践を築き、結果としてコグにコグを重ねると危ない。それは多くのチャージを放置することにつながりやすい。
    実践体系の創始者はいつもこの危険性にさらされている。
    
    孔子曰く:
    
    ` 吾十有(ゆう)五にして学に志す。
    ` 三十にして立つ。
    ` 四十にして惑わず。
    ` 五十にして天命を知る。
    ` 六十にして耳順(したが)ふ。
    ` 七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。
    
    「天命を知る」は大げさだが、「耳順う」や、「矩を踰えず」 ― これは「引き寄せ」に通じるものがあるけどね ― は地味だ。
    実践が長期にわたって良好な効果をもたらすのであれば、人生は気楽になり、コグの表現はこのように地味になっていくと思う。
    
    けれど、その地味な言葉を語る孔子の発想の壮大さは、イエスのそれすら超えている。
    
    1750年にスウェーデン政府が世界で初めて自国民の平均寿命を算出した。それは約38年間だった。
    孔子が生きていたのはそれより2300ヵ年以上前のことだ。人が若く死ぬ時代において、なんとまあ悠々とした態度だろう!
    
    儒学は子供に老成を強いるものとして批判され、糾弾されてきたが、本来、15歳未満の子供のための学問ではなかった。
    
    孔子は生涯教育を説いた。しかし、ユネスコが世界に向けて生涯教育を推進し始めたのは1965年のことだ。
    人類が孔子に追いつき始めるまで、実に2500ヵ年を超える年月が必要だった。
   
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