-
33debefb :Anonymous
2020-02-15 23:57
-
>>1b6012f9
「必要とか欲求は個性に依拠しているから、かつての個性の再現の必然性はない」
この主張は、失礼とは思いますが、反論のための反論(揚げ足取り)であり、論理が破綻していると思います。
個々のセイタンがスタティックのままゲームを望まなければ、必要も欲求も生まれるはずがないではありませんか。
ゲーム・ランドミティー・影響力の行使への機運あるいは欲求が生じるからこそ、セイタンはスケールを降りてノーイングネスを制限するのですから。
スケールの頂点に至り、再びゲームを望むとなれば、ノーイングネスによって、それまで得た経験を全て持ち越したまま、新しいゲームを始めることになります。
その新しいゲームには、かつての個性やゲームの再現も当然、選択肢(ポテンシャル)として含まれます。「かつての個性の再現の必然性はない」という根拠こそないのではありませんか?
オールド・タイマーさんのスタンスを要約すると、
①ゲーム・生存・個性を肯定するサイエントロジー的スタンスに立ちながら、
②ゲーム・生存・個性自体を逸脱と捉えるゴータマ・シッダールタのスタンスに立ち、
③セイタン(アートマン)の不滅性および存在性を否定し、マインド(五陰仮和合)を自己と定義するパーリ経典と自称原始仏教(上座部仏教)の立場を支持しているということになります。
これは、サイエントロジーでもオリジナルの仏教でもありません。
オールド・タイマーさんが執着しておられる、パーリ経典および上座部仏教は、大乗仏教と同様に、人々を迷宮の中に追いやり、誰人も解脱=悟りに導くことはありませんでした。
スッタニパータの、あの美しい詩文もオリジナルのゴータマ・シッダールタの教えに基づいたものではないのです。それらは、改竄された偽の教えです。
また、真偽の識別を誤り、偽りの教えに執着してしまうのは、ケース(カルマ)の引力であり、これは私の中にもあります(あらゆる人が陥ることです)から、オールド・タイマーさんのことだけを述べているわけではありません。
Powered by shinGETsu.