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2ebb4f8a :Anonymous 2023-02-14 06:47
人類(ホモ・サピエンス)は、短期のサイクルにおいては、家庭であれ、学業であれ、仕事であれ、同じサイクルを繰り返す。しかし、長期のサイクルにおいては大きく変容する。例えば、一個人の肉体が、出生時点と臨終を迎える地点とを比較してみれば一目瞭然だろう。

では、この長期の変化は何によって生じるのか?マルクスやエンゲルスの言うように(いわゆる史的唯物論の観点)、人類(ホモ・サピエンス)の生産活動あるいは生産労働が変化の主体であるならば、この変化は説明できない。なぜならば、人類(ホモ・サピエンス)は、肉体の一生のスパンでは、生産労働あるいは生産労働において従属的な受け身の立場にあるからだ。ゆえに、短期では同じサイクルを繰り返す。

社会の変化の主因は、輪廻転生のサイクルを含めてマインドを通じたものだ。マインドは、当然反応バンクも含む。つまり、個々人(ビーイング)のマインドどうしの相互作用及び集合バンクの相互作用だ。社会(あるいは時代)の変化の主因は、目に見える物質的要因より、目に見えない精神的要因のほうが遥かに大きいのである。LRHが述べたように、物質ではなく各ビーイングの(マインドを通じた)思考≒コンシダレーションこそが、社会を変化させる主体である。

もっとも、ゴータマ・シッダールタやヴェーダーンタの伝統のように、マインドを精妙な“物質”であり、またマインドを通じた霊的作用を精妙な物質的作用として定義するなら、この立場も唯物論の範疇となるだろうが、このような肉体等の粗大な物質を含むMESTあるいはコスモス(宇宙・自然)を、アートマン及びセイタンのコンシダレーション(※コンシダレーションはアートマン及びセイタンの「合意」を含む)に従属させるような唯物論的解釈と物質の定義は、エンゲルスが観念論と言って安易(早計)に切り捨てたヘーゲルを再評価したレーニンですら到達できなかった視点である。
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