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    2016-08-21 18:03
  
 
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    オールドタイマー氏のOTレベルの論考を読んでいて、不思議に思ったことがある。
    
    それは、教会はなぜ、OTマテリアルをわざわざ、極秘にしなくてはならなかったのかということである。
    
    マテリアルのデータは、全軌跡に関するもの(例えば、ジヌー事件など)と心の構造に関するもの(例えば、BTsやクラスタなど)、そして、テックに関するものに大別できると思う。
    
    この中で、テックに関するものは除いたとしても、全軌跡上の出来事や心の構造に関するもの(データ)は公開してしかるべきだ。むしろ、プリOTに、無駄な疑いや不信感や拒否反応を起こさないためにもそれが必要だろう。
    
    サイエントロジーが社会的に、宗教としての認知や正統性を確立していないのは、OTマテリアルの機密性と非公開の方針に由来していると思う。カルトと認知されるのは、そこがネックなのだ。
    
    では、普通に考えてみよう。アースライカスやマーケイブ連邦は良くて、なぜそれより最近の出来事であるはずの、ジヌー事件はダメなのか?
    
    なぜ、マシーン(機械仕掛け)やリッジやエンティティは良くて、BTsやクラスタはダメなのか?
    
    公開すれば、サイエントロジーが胡散臭いと思われたり、バカにされたりすることを心配しているなら、それは杞憂だろう。一般人からすれば、『人間の歴史』はよっぽど変であり違和感を感じるはずだ。一般人から見れば、『人間の歴史』もジヌー事件も大差ない。パブリックから見れば、ジヌー事件は想定内だ。
    
    公開しないからこそ、サウスパークなどで茶化されるのだ。公開していないのだから、反論も弁護もできないのだ。
    
    再刺激的だというなら、聖書の創生紀や黙示録のほうが、よっぽど再刺激的だ。
    
    キリスト教では、ルシファーは悪の象徴だが、サイエントロジーではジヌーが悪の象徴であるだけだ。サイエントロジーでは、ルシファーはむしろ好意的に解釈され、キリストは侮蔑的に解釈されるという違いはあるにせよ、それは宗教上の教義の違いでしかない。
    
    教義は宗教で違って当然だ。反西洋的だからといって公開をためらう理由はない。グノーシスだって反西洋的である。
    
    サイエントロジーも教義を公開すれば、社会的認知を得るだろう。誰にでも、議論や批判の対象となることはむしろ歓迎すべきだ。聖書が胡散臭いからといって、大々的に批判する人間はいない。
    
    それは、宗教として社会的認知を得ており、人々はそういうものだと受け入れているからだ。もちろん、誰にでも聖書は議論や批判の対象となることが可能だ。
    
    サイエントロジーがOTマテリアルのデータを隠し続ける限り、教義をバカにされたり、カルト扱いを受け続けることは避けられないだろう。
   
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