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    2010-04-04 15:47
  
 
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    ユーラシア大陸のインド以東の宗教哲学体系には、暗黙の了解事項として、アク
    チュアリティー層とリアリティー層があることが多いと思う。仏教のアクチュア
    ルな理論から考えると、出家も修行も必要ではないはずだが、アクチュアルな理
    論を手渡されても、それで入門者が潔く悟ったりすることはまずありえない。リ
    アリティーの壁がアクチュアルな理解を阻む。
    
    菜園で例えば外在化と呼ばれる現象を例にとろう。
    
    «思考の原理»などの入門書で既に、生命の本質に位置属性がない、というアクチ
    ュアルなことは教えられている。アクチュアルには外在化も内在化もない。しか
    し、プロセシングを通じて菜園人は、しばしば、肉体から外在化する。外在化は
    PCが自らを肉体ではないものとして知る好機となるため、意義深い現象といえる。
    
    しかし、肉体からの外在化が起こったくらいでは、まだまだ、入門書で教えられ
    ていることの理解には程遠い。
    
    プロセシングがケースゲインをもたらし続けると、ある日、PCはついに物質宇宙
    から外在化する。このあたりで、実は、自分がいつも宇宙の外にも視点を持って
    いたことにPCは気が付く。気が付いていなかっただけで、それ以前にも、PCは宇
    宙の内外に複数の視点を持ち、外在化と内在化の区別を超越していたのだ。
    
    こうして、PCは"外在化したい"という気持ちから卒業する。そして、以前に先輩
    たちにいわれたように、"菜園の教義の最高レベルは既に入門書の中にあるんだ
    よ"みたいなことをいうようになる。
   
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