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2a503c5b :Old Timer i1b5ibip3kS
2018-07-31 23:33
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>>098647b6
「選ばれた民」と「選ばれた者」はしばしば対立する概念であるように思う。自分自身が選ばれたものであるという自覚は、選民思想とはうまく重ならないのではないだろうか? まぁ、そなたの中では、それぞれの表現に設定している意味範疇が異なるのかもしれないがね。
さて、教会で修練を積むことに対して、俺は完全に否定的な見解を持ちえない立場にある。俺が教会で得た知識には、今となっては、誤りも少なからずあるのだが、かと言って、教会での経験がなければ、今こうして自由領域や菜園についての質問に答えていることもないだろう。菜園には「安定したデータ」という考え方もあり、とりあえず状況に好転をもたらしえるデータを、採用経緯を忘れない限り、採用することを良しとしている。
教会に戻りたい人に対しては、菜園に関する限り、俺は次の行動原則を勧める。
1. 緊急時においては素早く決断すること。
2. まだ必要になっていないなら、決断をしないこと。
3. 緊急時を除けば、人と会話をしている間には決断しないこと。
4. 緊急時を除けば、手に入れることができるすべてのデータを手に入れるまでは、決断しないこと。
5. 自らが属している組織について、人は時として正直に話すことができない、ということを覚えておくこと。
教会の顧客として、うまい生き方というものはやはりある。他の顧客が教会について批判しつつ、そなたに何か助言したら、その人が教会に対して罪があると短絡的に考えてはいけない。特に教会と20年以上付き合いがあり、世俗の生活と菜園をうまく両立させている古参の菜園人は、そなたが耳を傾けるならば、菜園人として生きるための秘訣をいくつも教えてくれることだろう。
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