Freezone

1f549414 :Anonymous 2010-04-09 15:03
>>1e7ffc26
>その講演で、一般意味論は、あくまで、"これらのデータ"の要約行為として取り
上げられているにすぎない。

しかし、それが、サイエントロジーの基礎でしょう。しかも、幅度は「あなたはプロセシングでそれを使い、
それを使い、それを使い、それを使い、それを使います。ですからそれを理解してください」と
まで言ってるのである。

「「絶対の獲得は不可能である!」
これはアリストテレスが犯した主要な誤りです。それは大して重要なデータには見えません。
しかしそれは、思考の領域全体を狂わせることも可能です。彼らは常に、正があり、誤がある、
と主張し続けました。ほとんどの人にとっては、世界は黒か白かで成り立っています。言いにくい
のですが、非常に多くのエンジニアが、物事がそれ自体を、「はい」 と「いいえ」と「多分」とに
分類するがままにしています。彼らは自分が用いている「はい」と「いいえ」を、絶対的なものと
考えています。 」(1952年11 月 10 日の講演より)

このように、幅度は、アリストテレス的論理を批判し、かつその否定として、

論理6「絶対の獲得は不可能である!」を公理化した。

「というのも、本当は、論理は、無限の価値から成り立っているからです。論理には無限の価値が
含まれます。論理とは段階のスケールだからです。それについてはすぐに取り上げます。 そして私が
今話してきたことは、論理7に関することでした。

論理7: 「問題とそれらのデータの評価には、段階のスケールが必要である。」

そしてそれが、あなたがプロセシングで使うことになるものです。あなたはプロセシングでそれを使い、
それを使い、それを使い、それを使い、それを使います。ですからそれを理解してください。
十分に理解してください。」(1952年11 月 10 日の講演より)

論理6を受けて、ある種の非アリストテレス論理を、論理7として、幅度流に公理化したのである。

とくに論理7には、かなり長文の補足がつけられていて、一部だけを引用すると、「これは、
無限価値論理の道具である。絶対は獲得不可能である。善と悪、生と死、正しさと誤り
といった用語は必ず段階のスケールと併用される。」(『生存の科学』より)とあり、
ここでいう無限価値論理は、コージブスキーの言う、非アリストテレス的論理の借用だろう。
(と思う。)

実際、ハヤカワの『思考と行動における言語』は、1941年に出版されているので、
幅度は、すでに読んでいたのではないか?と私は推察している。

私も、以前、コージブスキーの『Science and Sanity』は、読もうとしたが、素人にはとても
理解できる代物ではなかった。一方、ハヤカワの本は非常にわかりやすい。

しかも、その中には、『段階のスケール』を匂わせる『抽象のハシゴ』という用語もあらわれる。
それは、『牝牛ベッシー』と題する、印象深いお話なのだが、ネット上で誰かが次のような、
チャートにまとめてくれている。
http://homepage3.nifty.com/manabizz/Chushou.pdf

これをみれば、『生存の科学』にある、『幅度 人間評価のチャート』などの、段階の
スケールの具体例は、『牝牛ベッシー』から派生したものではないのか?とも思われる。
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