-
1a8f269c :Anonymous
2022-09-03 05:16
-
「ヤルダバオート(注:偽の神)自身がやったのは、アブラハムという人間を選び、服従を誓う限りは土地を与えるという契約を結んだという、それだけである。その後、モーセを通してアブラハムの子孫をエジプト国外に連れだし、法を定め、彼らを「ユダヤ人」とした。そして、7人の神(ヘブドマド)がその中から自分の使者を選出し、ヤルダバオートを神と讃えるように促した。そうすることで、預言者から神の栄光の言葉を聞けると思い込んだ人類全体が、預言者の言うこことを聞くようになる。」(エイレナイオス著『異端反駁論』より)
ここには、古代世界のグノーシス信仰や各民族の多神教、そして、その知的遺産を殲滅させたキリスト教(カトリック教団)の母体となったユダヤ教の成立の秘密が書かれている。
地球外の得体の知れない気まぐれで暴力的な絶対神が、勝手に土地の権利を与える契約を結ばせ、預言者を通じて、戒律を定め、従わない人類に罰を与えるという荒唐無稽な物がである。これが、同じ一神教の啓示終末(救世主)信仰のキリスト教とイスラーム教の土台であり、本質はユダヤ教と何ら変わりはない。
神の愛を説いたイエスは違うのでは?果たして、そうだろうか?新約聖書には、イエスの言葉として、(絶対神への信仰の下に)隣人や敵を愛するようにと説かれている。しかし、愛とは自発的なものであり、誰人も自由意志を持った独立した個人に対して、何かを愛するよう人に命じることなどできない。個人が何かを愛するために、誰かに命令される筋合いなどないのだ。人間にとって、最も自然な状態とは何者にも命令されない状態である。他の「命令」も見てみよう。「悪に抵抗するな」「敵を愛せ」「害を与えるの者に対して善を為せ」「頬を打たれたらもう片方の頬を向けよ」「苦境を受け入れよ」「加害者を許せ」。これらは、イエスの命令であり、イエスを通じた神の命令でもあるということに注目されたい。この言葉をイエスが本当に語ったか否かは問題ではない。これらの新約聖書(福音書)のイエスの言葉は全て、人間を無気力な「犠牲者のゲーム」へと誘うものであり、支配者にとっては実に都合の良い反生存的な道徳律(注:生存的な倫理律[エシックス]とは無縁な教え)である。要するに、新約聖書も旧約聖書と同様に、否、それ以上に強力なマインドコントロールのウイルスが埋め込まれているということである。
新約聖書に登場するイエスなる人物の実像とはいかなるものだったのか?新約聖書のイエスのモデルとなった人物は、バプテスマのヨハネから教祖の座を不当に簒奪した偽教祖であり、魔術師であり、ユダヤ教・クムラン教団過激派(ゼデク派教団)のテロリストであり、ユダヤ人が待望していた救世主の一人であった。当然ながら、聖人とは似ても似つかない人物である。ちなみに、後にこの教団を乗っ取た人物が、カトリック教団創設者のパウロである。つまり、原始キリスト教(後のカトリック教団)は、偽者(簒奪者)の偽者(簒奪者)によって始まったということだ。
LRHは、当然、キリスト教の真の歴史もイエスの実像も知っていたに違いない。LRHは、「この惑星の歴史上で、インプラントに影響されてない宗教はオリジナル(注:現代に伝わる経典には残されていない)の仏教のみであった。」と書いている。にも関わらず、LRHはプロテスタント教会を真似たサイエントロジー教会を設立し、キリスト教の文化にも迎合した。自ら、「サイエントロジーは現代の(甦った)グノーシスです」と述べていたにも関わらず。
Powered by shinGETsu.