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1a86bb99 :Anonymous 2023-02-05 00:59
>>f6094fa2

共和制と民主制は異なる。アメリカ合衆国は立憲民主制ではなく立憲共和制なので、人民主権という発想は存在しない。

人定法たる社会法は、人間が合意し運用するものなので当然エラーが付き物である。そのために、権力欲を抑制し統治権力を分散させるための立憲的な権力分立システムが必要になる。フランス革命のような人民主権の直接行使は、テロルと全体主義による圧政をもたらす。

アメリカの独立革命が成功したのは、トマス・ジェファーソンがフランス革命の失敗の過程を間近に観察していたからである。ゆえに、彼は人民主権による人民民主制ではなく、権力分散型の立憲共和制の政体を選択した。

LRHが述べたように、「制限なき自由」と「自由なき抑圧」は同じ結果をもたらす。フランス革命の制限なき自由は、為政者の“一般意思”による人民主権の行使をもたらし、これがテロルと圧政を招いたのである。

イギリスの成文憲法典の一部を構成するマグナ・カルタ、権利請願、権利章典、王位継承法等には、英国臣民の権利は定められているが“人権”なる概念は存在しない。では、アメリカの合衆国憲法はどうか?

アメリカの権利章典(憲法修正第1条から10条)にも、フランス革命の産物である人権や国民(人民)主権の概念は登場しない。なぜなら、1789年のフランス人権宣言に二年先立って合衆国憲法は起草されたからである。ちなみに、アメリカで権利章典が憲法修正で追加されたのが1790年。

だが、アメリカは権利章典においても、フランス革命流の人権概念を採用しなかった。アメリカ合衆国憲法が世界最長の成文憲法として現在も存在し、自由と秩序を曲がりなりにも維持したのに対して、人権概念を“発明”したフランス革命は圧政とテロルに終わり、憲法すらまともに施行されなかった。

もともと、人権と人民主権思想はフランスの革命思想のパッケージの一部である。これは、立憲主義をコモン・ローを含めた「法の支配」と捉える英米法の憲法観と、立憲主義を為政者による「法治主義(その結果がナチス・ドイツと旧社会主義国の命令法体系)」と捉える大陸法の憲法観の違いが関係している。

英米法に基づく憲法観では、フランス革命流の人権思想のみならず、国民(人民)主権という概念も存在しない。なぜなら、主権とは無制限の権力であり、為政者であれ国民であれ無制限の権力を与えるなら、立憲主義に基づく法の支配は崩壊するからである。

イギリスの政体は立憲君主制であり、アメリカの政体は立憲共和制である。どちらも、立憲民主制でないことに注目してもらいたい。合衆国憲法が、憲法空位も暴力革命もクーデターも独裁も生まずに、世界最長の成文憲法として存在しているのは、デモクラシー(民主主義)に対する懐疑と専制政治と衆愚政治のバランス感覚を持っているからである。

人権思想を発明したフランス革命が生んだ圧政とテロル、憲法空位と使い捨てされる憲法、王政復古とナポレオンの専制政治といった成果と、自由と秩序をもたらし世界最長の成文憲法として生き長らえた合衆国憲法のどちらが正解だったかは、歴史から明らかである。

繰り返すが、トーマス・ジェファーソンはフランス革命を間近に目撃して、そのフランスの統治(憲法)観の破壊性を認識した。合衆国憲法はフランス革命の教訓を元に、ルソー流の人民主権論を排除することで権力が暴走しないように設計された。

英国のエドワード・コーク卿の述べた「国会主権」は、二重の意味で誤読を生みやすい表現である。

まず、ここでコーク卿が云う「主権」とは、無制限の権力でも対外的な国家主権でもなく、コモン・ローを含むノモスの裁定権の主体者を指す。次に、ここで云う「国会」とは、当時の英国における高等法廷としての国会である。つまり、司法権にノモスの裁定権が付与されるべきということである。

ゆえに、コーク卿の「国会主権論」を曲解して、国民や為政者に無制限の立法権と権力を付与する人民(国民)主権論やノモス主権論≒為政者主権論を導き出すことは誤りである。コモン・ローを含むノモスの裁定権は、国民でも為政者でもなく司法権に付与されるべきという立場が、コーク卿の本意なのである。

法とノモスは同義であり、法(法≠人定法)とは自由を担保するためものであるから、法の支配とノモスを切り離すことはできない。

人民(国民)主権論も君主主権論もノモス(共同体)主権論も、同じ穴の狢である。ノモス主権論は、ノモスを規定するのは、結局、為政者に他ならないので、為政者主権論である。権力分立に基づく法の支配は、人民(国民)であれ君主であれ為政者であれ、主権という名の無制限の権力を誰(またどの機関)にも与えない。

英国の法の支配(≒立憲主義)の発展の歴史は、一貫して権力を抑制することであった。エドワード・コーク卿の後に出現したジョン・ロックは、「抵抗権(革命権)」なるものを提唱したが、英米法には本来、抵抗権なる思想と無縁であり、ジョン・ロックは異物として位置付けるべきである。

加えて、マルクスが称賛した抵抗権(革命権)なる代物は、法の支配の概念の希薄な人定法至上主義の大陸法諸国に必要となる思想である。法の支配とは、抵抗権など不要となるように主権者の存在を排し、国家権力を抑制することであるから、そもそも抵抗権が必要とされる状況は憲法(秩序)の失敗に他ならない。

よく誤解されるものが、合衆国憲法における民兵組織と国民の武器所有≒武装権の規定(修正第二条)であるが、これは抵抗権の合憲化ではなく、連邦政府の常備軍による権力の独占と肥大化を抑制するための条項である。

とは言え、合衆国憲法そのものも、内在する欠陥により、今や機能不全に陥っていると言わざるを得ないが。
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