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12b166f0 :Anonymous
2023-02-12 01:43
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>>346f3621
資本主義経済が“社会的な”生産であることは当たり前だ。マルクスは社会的な生産と資本の私的所有の矛盾が、資本主義における止揚されるべき主要な矛盾であると述べた。
フォード流のベルトコンベアー方式でも、トヨタ流のカンバン方式でも、(ボルボ流の)セル生産方式でも何でも良いが、それらはミクロにおける生産様式の差異であり、資本主義経済システムというマクロの生産様式自体が覆されることにはならない。
マルクスの想定した社会主義社会(社会主義国家)は、資本主義市場経済流の市場や通貨(信用貨幣)を通じた分配を前提としていない。
マルクス・レーニン主義者として、「社会主義においても市場が必要だ」と、最初に述べたのはスターリンだ。以後、日本共産党はスターリンを批判しながら、スターリンの説いた基本原則をそのまま採用することになる。
ティトーのユーゴスラビアの自主管理社会主義でも、資本≒企業の概念を解体し、アソシエーションに基づく連合労働に変革することまではできたが、市場経済と通貨(信用貨幣)を廃止することは遂にできなかった。ゆえに、スターリンは一国社会主義路線(世界革命路線の放棄)も含めて、リアリストとしては(ある意味で)正しかったが、マルクス主義者としては基本教義から逸脱していた。
ちなみに、旧ユーゴスラビアの自主管理社会主義は、産業形態においては、オールド・タイマー氏の述べるゲゼルシャフトそのものである。自主管理社会主義は、市場と通貨(信用貨幣)こそ残存したが、資本≒企業を廃した連合労働(アソシエーション)の概念に基づくプロジェクトごとのフレキシブルな“社会的生産”を行っていた。
民主的な生産様式である自主管理社会主義がうまくいかないのは当たり前である。なぜなら、「(私的)所有」という概念がない限り、人間は生産手段も道具も生産物も大事に扱わないし、それらは適切に管理されないからである。これは、マルクスのイデオロギーそのもの欠陥でもあるし、社会主義及び共産主義の欠陥でもある。
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