Freezone

71047e54 :Anonymous 2016-04-22 10:29
>>ab794a02
>>20125ac5

ありがとうございます。

いくつかお訊きしたいことがあります。

『要因』における「起因」は虚無と同じものでしょうか?私の理解では、虚無はアイン(無)であり、「起因」がアインソフ(無限)だと考えています。だとすれば、アインからアインソフはどのように生じたと思われますか?私の考えでは、虚無はもともと潜在的に全ての存在性を有しており、(比喩としてですが)ある時この虚無の「ゆらぎ」によってアインソフが生じたと考えていますがどう思われますか?

『要因』の視点を、コギト(自我)および自他の区別(個性)そしてスタティックと定義すると、コギトが生じる前に「起因」という存在性があり、その「起因」は目的を持ち、決断を行ったということになります。ここが、よくわからないのです。コギト(視点)が存在しない状態で、なぜ目的と決断が可能なのでしょうか?

『要因』を読むと、「起因」は確かに単数ですが、3番の「視点」も単数になっています。LRHが神のような単一の超越者の観点を想定して『要因』を書いたとすれば、3番の「視点」は単数系ではなく複数系であるはずです。とするならば、「起因」は、もちろん(比喩的に)最初の起因は一つであったとしても、視点の数だけの起因が個別に存在しうるということではないでしょうか?

また、『要因』では視点つまり自他の区別を持つコギトは決して消滅できないと書いてあり、これがセイタンの不滅性と実在性の保証だと思っていたのですが、オールドタイマーさんによると、視点もコンシダレーションである以上アズイズ可能だということですね。私からすると、コギトが存在しない状態で(つまりコギト以前に)コンシダレーションが存在しうるというのが、理解しがたいというか違和感があります。ここの説明もお願いします。


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