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56ffaeb1 :Anonymous 2022-11-03 14:58
>>92938a97

〈八正道の非論理性からパーリ経典群の捏造を暴く〉

パーリ経典では、「八正道」はゴータマ・シッダールタの直説(じきせつ)とされ、パーリ経典(原始経典)の修行体系である七科三十七菩提分の一部を構成している。八正道の最初の項目である「正見」は、「悟りの智慧」と同義である。つまり、「正見」は、悟りの結果であり、悟りの原因ではない。「正見」は悟りを開いた覚者(解脱者)にしかでき得ない。「正見」に続く、「正思」も「正語」も、「正見」がもたらす結果である。最初から「正見」ができるなら、なにもわざわざ修行などする必要はないのである。しからば、パーリ経典(ニカーヤ)においては、何故に凡夫の修行体系の最初に、この実行不可能な「正見」などという項目を置いているのであろうか?それは、後世の凡夫が思弁というマインドのお遊びで書いたものに他ならないからである。

八正道の「正見」は、「戒・定・慧(かいじょうえ)」の三学で分類すれば、「慧」に相当する。戒(生活を整えること:エシックス)と定(ヨーガ[ラージャヨーガ])は、慧(悟り)の原因であり、慧すなわち正見はその結果である。戒も定もすっ飛ばして、悟りの結果である慧すなわち正見を、修行体系の一番最初に置くのは、いったい、いかなる合理性があるのであろうか?このように、「八正道は、入り口から閉ざされた欠陥法」なのである。このような非論理的な修行法を、覚者(解脱者)たるゴータマ・シッダールタが説くなどということはあり得ないのである。

※パーリ経典は、アショーカ王時代にインテリ達を集めて編集された偽りのゴータマ・シッダールタ伝である。パーリ経典においては、比丘(男性出家者)への250戒、比丘尼(女王出家者)への348戒もの戒律が説かれているが、男女差別も含めて捏造である。アートマン(※セイタン)の自由と解脱を説いたゴータマ・シッダールタの教えが、煩瑣な戒律で修行者を縛るなどあり得るべくもない。
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